育児の話のついでです。私は長男を総合病院で産んでこりたので、次男は自宅で産みました。
はじめ、水中出産を希望していたのですが、自宅の湯船の高さが高すぎて介助できないということで、自分のふとんの上で産みました。 私はお産が早くて軽いし、ふたり目だったので不安はありませんでしたが、危険もあるので、リスクのある人はできないと思います。 自宅で産むと、精神的に自然で楽でしたよ。 今でも、あの助産婦さんは自宅でお産を取り上げているのかな。国分寺市の矢島床子さんです。暖かくて、憧れの人でした。 http://www.yajima-j.net/
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私は自分からテレビをつけて見るということがほとんどないんですが、子供たちが独占して好きなものを見ています。食事の時だけ、私も何となく見ているという感じです。
子供はアニメを見ているわけですが、男の子なので、戦闘ものが多いんですね〜。やられてもやられても死なない。地獄って、こういうところなんだろなあと思います。これでは、命の大切さなんて忘れてしまうと思いますよ。 こういうアニメは、ヨーロッパでは規制があって放送されないと聞いたことがあります。日本も早く、そうなってほしいと思います。
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恥ずかしい、笑われる、おかしい、いい子じゃないと嫌い、遊んでもらえない、あっちへ行けと言われる、悪い子・・・
様々な言葉や態度で脅された子供は、恐怖から行動するようになります。恐怖が行動のきっかけになり、恐怖に追われ続けます。 恐怖は動物としての本当に基本的な本能であり、小さな子供でも理解できるので、利用しやすいんですね。 恐怖から人の顔色を見るようになった子供、恐怖から親や先生の言う通りに生きるようになった子供、恐怖から自分の感情を無視するようになった子供。 人の望みばかり叶えて、自分の心を守る方法がわかりません。人の言う通りにはできても、自分で自分のことを考えることができません。自分が感じていることを無理に抑えてしまいます。自分の人生を自分で考え、選択して生きることが怖くなってしまいました。 それが、今苦しんでいるあなたなのかもしれません。 眠る前に、布団の中で、ゆっくり思い出してみて。何が怖かったのか。思い出したら、今はもう無視しないで、泣いてください。
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生まれたての赤ん坊は、全能です。そして全くの無力です。この子の中には、自然の本能が脈々と生きて流れています。けれど、それを自分でどうにもできません。
この子の無力さを馬鹿にしてはいけません。この子は今、自分は宇宙の中心であることを信じて疑っていないのであり、悟りの中にいるんです。何という素晴らしい存在!この子の全能に、親はただついていけばいいんですよ。 この子は、自分の最善な育て方を親に教えてくれる、最高の教師ですから、しっかり受け取り、教わってください。ちゃんと受け取ることができたら、親の中にも親としての本能が開かれます。 霊的に全能なあまり、現実で無力なこの子の、無力な部分だけ、親は補えばいいんです。 この子を信頼してついていくことができますか?それは、神や宇宙や自然を信じて自分を投げ出すことができるかどうか、ということと似ています。 この子の全能を折り取らなければ、後のことは何も心配のない、自分の人生をしっかりと自分の考えで歩むことのできる創造的な子供に育ちますよ。(途中、いろいろあるかもしれませんけどね)
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集団教育は、集団の圧力でひとりひとりを脅して、管理しようとしました。それが簡単だからです。
子供は存在を否定される恐怖心から、相手の望みを知ろうとし、望みをかなえようとします。皆の望みは、「皆同じであること」ですから、多かれ少なかれ自分を失って、ようやく認められるんです。 それがうまくできると仲間で、うまくできないと疎外されます。 若い人達は一見コミュニケーション上手に見えますが、非常な努力とストレスの中で生活しているように思います。 そのストレスが限界を超えてしまい、外へ表現されると、犯罪の低年齢化や、残虐化なども当然だと思います。 集団のためにひとりひとりを犠牲にした結果、かえって集団の管理ができなくなっています。ひとりひとりが生き生きしてこそ、健康な集団でしょう。
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「そんなことしたら恥ずかしいよ、おかしいよ、笑われるよ」
この言葉がくり返されるたびに、子供は、人に疎外され、皆から認めてもらえない恐怖を植えつけられているんです。大人の望み通りにうまくできないと、自分は存在を否定されるのだと刷り込まれているんです。 でも子供だから、うまくできないことがあります。うまくできないことがほとんどという子もいます。そうすると、その度に、存在否定される恐怖におののきます。 上手くできる子は、要領よく生き抜きます。でも内心、できなかった時はどうなるかと恐れています。 真面目で繊細な子は、恐怖に傷つきます。 あなたも、こうして傷ついたのではありませんか?この傷が、自己否定や恐怖の原因になっていませんか? 何をしても恥ずかしくなんかない、おかしくなんかない、笑われたりしない。 大人が未熟で、間違っていたんです。それはひとりひとりのための言葉ではなく、集団のために個人は犠牲になるべきという考え方から出た言葉だったんです。
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子供たちが学校で乱れて、教育が崩壊していることが問題になっています。
そうやって困っている姿を見て、私は不思議な気分です。 こうなるのはわかっていて、こうなっても構わないと思って、今までのような教育や育児をやっているんだと思っていました。 なーんだ、こうなったら困るんだ、こうなってほしくはなかったんだ。こうなることが、わからなかったってことなんだ。そこまで鈍感だったんだ、本当にびっくり。 それでまだ暴力を認めるべきか反対すべきかなんて言ってます。どこまで鈍感なんだろう。 生まれてすぐに母子隔離され、牛のミルクを与えられ、自然の本能を壊されて、物心ついたら「そんなことすると、恥ずかしいよ、笑われるよ」と脅されて、それ以後ずっと脅しと恐怖の繰り返し。 これで心と体が健康だったらおかしいよ。人間は与えられたものを与えるものでしょ?
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カルマがあるのに、あまりカルマを感じない人もいます。見ていると、ふしぎな気がします。
そういう人は、とても物質的な生き方をしていて、霊的なことに鈍感な人です。自分は物質だという思いが強いので、本当にそうなっていて、霊的な影響を受けにくいんですね。 でも、それでいいのかなあ。霊的な影響を受けにくいのは、楽ですよ。でも、それだと霊的な進歩というのがありません。 このブログを読んでくださっているような人には、少ないタイプじゃなでしょうかね〜。みなさんはきっと、霊的な影響を強く受けて多少嫌な思いをしても、魂の成長の方を、大切に思うでしょ? カルマのある場所や人と和解して、仲良しになる方法を知りたい人は、こちらへ。
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カルマには惹かれやすいので、カルマのある人にも惹かれやすいんです。
自分の家と配偶者の家、父の家と母の家をよく調べてみると、源氏と平家、南朝と北朝、信長と信玄、家康と秀吉のように、敵味方になっている人もいると思います。 源氏なら源の家だけでなく、三浦さんや和田さんなど、源氏方について戦った家もみんな、源氏としてカルマを受けていますよ〜。 地方だから安心というわけじゃなく、地方には地方の戦いが、わんさかあります。 夫婦で敵味方の場合は、はじめ仲が良くても、だんだんと本当の姿が出てきて、苦しい結婚生活になりやすいんです。これもわざわざ、カルマを浄化するために、お互いにカルマに惹かれてしまったんですね。 カルマの重い人ほど、こうなっちゃいます。早くカルマを減らしたいからですね。 私も最初の結婚がそうでした。私が、茨城県の結城合戦という戦いで、夫の家を攻撃していたんでした。調べてみて事実がわかると、うそみたいで、びっくりします。 階下の住人の方も結城出身で、さんざん苦情を言われましたよ。苦情を言われるのは私だけで、夫は何も言われないんです。私とはカルマかあるので虫が好かなくて、夫とは同族だから気にならなかったんでしょうね。 カルマ夫婦の和解の仕方は、こちら。お互いに和解を受け入れると関係改善になりますが、片方が受け入れない場合は、関係終了でカルマから開放されるという形になります。
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カルマの重い場所は、昔、大きな合戦のあったところです。そして、その守護神の神社、守護仏のお寺です。
京都と奈良は、歴史的に対立が続いたので、京都にご縁のある人は奈良がつらく、奈良にご縁のある人は京都がつらいことが多いです。 スピリチュアル系の人に人気のある天河神社は、南朝の皇居があった場所なので、北朝にご縁の人には、かなりつらい場所です。天河神社が冷たいと感じる人は、そうかも。 でもなぜか、カルマがあると人は惹かれてしまうんです。悪くてもご縁ですから、波長が合うんですね。カルマの重い場所は魅力的に感じることもよくあり、わざわざそこへ引っ越したり、遊びに行ったりします。 そしてトラブルに逢って、嫌な思いをするわけですが、嫌な思いをした分だけカルマは消えていくので、魂はわざとカルマ浄化のために、カルマに誘われて行くんですね〜。 嫌な思いをする前に、カルマを減らしておく方法は、こちらです。
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カルマの出る場所として厳重注意なのが、厳島神社です。日本三景のひとつで、憧れる人が多いんですが、厳島神社へ行って病気になったとか、大変な思いをしたという話をぞろぞろ聞きます。
だって、あそこは平家の守護神ですからね。皆でよってたかって、滅ぼしたじゃありませんか。先祖が源氏だったら、カルマが出て、嫌な思い出を作る可能性が高い場所です。 織田信長にご縁のある人は、武田系、今川系、上杉系などの場所や人とトラブルになりやすいです。比叡山も、信長系の人のカルマスポットです。 関東の人は、かなりの人が鎌倉にカルマがあります。関東の人が一致団結して鎌倉を攻め滅ぼしましたからね〜。だから、鎌倉に入るのにあんなに渋滞して、鎌倉に入っても車を停める場所がなくて、みんなくたくたになるんだろうと思いますよ。 そしてまた、日本人のかなりの人が、出雲大社と諏訪大社にカルマがあります。日本人の多くは天津系で、国津系を滅ぼしていますから。でも、ありがたいことに出雲大社の大国主命という神様は本当に優しいので、かなりカルマを免除してくれます。でも、諏訪大社は厳しいです。 こんな風に、歴史上の戦いのカルマは、今でも本人が何も知らなくても、その場所に行ったり、ご縁の人と関わることで発動しています。
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関西の人は、東京に対して非常なライバル意識や、行ったこともないのに敵意を持っている人が多いですね〜。「東京の人は、関西のことなど何とも思ってないよ、名古屋とか福岡とかに対する感覚と同じ。」と言うと、関西の人には信じられないみたいです。
関西から東京に引越しをして、驚くことのひとつはこれですね。東京の人は関西を何とも思ってない、自分たちだけがライバル意識を猛烈に燃やしていたんだってことに気づいて、びっくりするんです。 関西人のこのライバル意識の原因って、都を持っていかれたこととか、豊臣家が家康に負けたこととか、そういうのが心の奥に刻みこまれたものなんでしょうね。 自分たちでも知らず知らずのうちに、ご縁(カルマ)に翻弄されているわけです。 そして現実に、関西の人が小田原(秀吉が攻め落とした場所)や日光へ行くと、嫌な思いをする可能性があります。子供だったら迷子になるとか、渋滞で身動きできず一日終わるとか、けがをするとか、熱が出るとか、下痢になるとか、人とけんかになるとか。 家康にご縁の人は、大阪へ行くと同じようにトラブルが多いかもしれません。
図書館が長い休みに入ってしまいまして、ピアノ協奏曲の聴き比べが止まってしまいました。あとひとり聴いたら、決まりそうだったのに〜〜
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楠正成(くすのきまさしげ)が最後の戦いで陣を敷いたのは、神戸の会下山(えげさん)でした。そこに、私の祖父母が住んでいました。
楠正成を攻めた足利軍が上陸したのは、神戸の和田岬でした。祖父母は会下山からその近くに引越し、そこで私の父が生まれ育ちました。こういうのが、ご縁、カルマなんですね〜。 カルマが出たのか、長女(私のおば)は幼くして亡くなりました。長男(私のおじ)は小児麻痺を苦にして自殺しました。これも、カルマでしょうかね・・・。 神戸では源平の戦いもありましたし、私は源氏にご縁があるので、源平の時代にもカルマがあります。 源義経が平氏に奇襲をかけた、ひよどり越えという場所がどこだったかは不明ですが、父と私は須磨の山中で迷ったことがあるので、その辺りなのかなあと考えています。 みなさんもお住まいの近くの歴史を調べてみると、偶然の一致の連続に、びっくりされることがあると思いますよ。歴史は今でも生きていることが、よくわかると思います。それが、ご縁というものですね〜。皆知らず知らずのうちに、歴史上の合戦が原因になって、カルマを受けています。
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神社で参拝する時、ご祭神様が歓迎してくださっていると、よく目の前まで来てくださるんですが、目の前ってどのくらいの距離かといいますと、1メートル位です。ほんとに目の前。
私はお賽銭箱の手前にいますから、ご祭神様はお賽銭箱のすぐあちらあたりに立っていることが多いです。それで、うれしそうににこやかに、じいっと見つめてくれています。 あまりにもあまりにも仲良しのご祭神様の時は、距離が10センチなんてこともありました。それは誰かといいますと、火之迦具土命(ほのかぐつちのみこと)です。 江ノ島神社の中津宮の弁財天様は、いつも大喜びで、ドドドドと音が聞こえそうな勢いで駆け寄ってこらる感じで、笑っちゃいます。 ところで、四条畷神社ご祭神の楠正行の父、楠正成は、合戦での最期を迎え、弟に何か願いはあるかと問いかけました。弟正季が「七生まで人間に生れて朝敵を滅ぼしたい」と答え、正成は「いつかこの本懐を達せん」と言って、兄弟刺し違えて自刃したという有名なエピソードがあります。 これが、私にはずっと信じられない。あの武士の鑑みたいな正成が、こんなこと考えるはずがない。その子の正行は、凍え死にそうになっている敵方の北朝の武士たちを救い、手当てして逃がすような人なのに。正行の精神は、正成から受け継いだもののはずなのに。 正成を利用した軍国主義の作り物なんじゃないかと思うんですけどね〜。
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20日の最後に、四条畷(しじょうなわて)神社へ参拝しました。ご祭神は、楠木正行(くすのきまさつら)公。楠正成(くすのきまさしげ)の子です。ここへは、初めて来ました。
楠父子は、南北朝の戦いの折、南朝の主要な武将でした。私は北朝の足利尊氏(あしかがたかうじ)にご縁があるので、敵方の武将ということになりますが、足利と楠の関係は、普通の敵味方の感覚とは違っていました。親の代も子の代も、お互いに尊敬していたのであり、2代将軍足利義詮(よしあきら)は、楠正行の墓の隣に自分の墓を作らせました。 京都の宝筐院に仲良く並んだ二人の墓は、足利家と楠家がどのような結ばれ方をしているのかということを、本当によく表してくれていると思います。義詮のこの行動は、足利家に関わりのある人達の誇りではないでしょうか。 初めて楠正成に参拝した時、あまりの歓迎ぶりに驚くとともに、この相手には以前に会ったことがある、この相手は親友だった人だと感じました。だから私は自分を南朝の人間だと思っていたほどで、後から足利にご縁があることがわかった時には、頭が混乱しましたが、事情がわかってくると、納得しました。 祈りは、とてもさわやかに受け入れてくださいました。目の前にこられ、静かにみつめながら聴いてくださいました。すっかり神様です。この人は、何の心配もないと思いました。 神社を出ようとしたら、駐車場の入り口が閉まっていて、ロープをはずして出ました。入る時はすでに時間を過ぎていたので、ぎりぎりで入れたみたいです。相性の良いところは、よくこんな風に、ぎりぎりでOKになります。ロープを戻しながら、幸せ気分でした。ありがとう、正行公! こんな風に祈れるようになりたい人は、こちらへ。
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大阪での2日目は、河内の国一宮・枚岡(ひらおか)神社、生駒山頂の龍光寺、生駒山をご神体とする往馬神社と参拝し、その後も生駒山の中のお寺を回るつもりでいたんですが、気が変わって、チェックはしていたものの行かない予定だった、八尾市の大聖勝軍寺に行くことにしました。
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この企画は、1週間ほど前に思いつきました。祈ららの祈りを進めていらっしゃる方が、これから生駒(いこま)山へ行くいうことを聞いて、ピンときてしまいました。 祈ららで長く祈っていらっしゃる方がお住まいの地域には、大抵私のカルマもあるので、私も個人的に祈る必要のある場所です。 生駒山は、まったく手付かずでした。重要な場所だという意識はありましたが、そのうち、そのうちで済ませていた所でした。これはちょうど良い機会なので、出かけてみることにしました。 そしてスケジュールの中に、生駒山から近い石切(いしきり)神社で、祈ららのメンバーとお会いする時間をとりました。 石切神社の本殿前は、いつもお百度参りをする人でいっぱいなので、はじめの参拝はさっと済ませて後でもう一度参拝することにして、上ノ宮へ向かいました。 ご祭神は、饒速日尊(にぎはやひのみこと)。とかくなぞの多い人ですが、一応天照大神の孫である、瓊々杵尊(ににぎのみこと)の兄とされています。 饒速日尊は、私の母の遠い先祖に当たります。 祈り始めると、何の用だという反応でしたが、途中からなかなか結構集中してきまして、好きなだけ祈りました。私がご祭神の縁者だということも、祈っているうちにわかったみたいです。 最後の方はエネルギーを入れてくれたので、体が回っていました。 上ノ宮の次は、境内の登美霊社(読み方不明)へ移動しました。饒速日尊のお妃、三炊屋媛(みかしきやひめ)が祀られています。ここへは2度目か3度目ですが、いつ来ても開いていません。閉まるのが早いそうです。 登美霊社の隣には、弟橘姫命(おとたちばなひめのみこと)を祀ったお社があり、手を合わせると優しく歓迎してくださいました。弟橘姫さんは、いつもにこやかで親切です。 最後に再び本殿で祈りました。ここには、饒速日尊の子で、物部(もののべ)一族の祖となった、可美真手命(うましまでのみこと)も祀られています。私の母は、可美真手命の異母兄の高倉下命(たかくらじのみこと)の系統です。でも、私は個人的に高倉下命よりも可美真手命の方に親しみを感じるんですが、その理由はわかりません。 私の体の中に霊的に入っている剣を下さった石上(いそのかみ)神宮は、物部一族の本拠地です。自分と物部一族との関係も、何かまだはっきりしない感じです。 そして神社を後にして、車で少し移動。 みなさん、神社参拝ではまだちょっと緊張感がありましたが、食事をして話し始めると、あっという間に打ち解けて、前々からの知り合いのように、積もる話を続けたような感じでした。仲間に会える機会は、少ないですからね〜。それに世間的な遠慮を忘れて、思いきり祈りの話ができるのがうれしいんですね。 19日は、これで終わり。20日はまた、一日中あちこち参拝しました。カルマがどういうものなのか、よくわからないという方にも、興味深いお話ができるんじゃないかな〜と思います。
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先ほど帰ってきました。19日は、朝から新幹線で大阪へ移動し、レンタカーで信貴山に向かいました。ここは、毘沙門天信仰の総本山です。
山の中にはいくつかのお寺があり、ひとつの信仰の山を形成しています。山全体がひとつの庭園のような美しさで、秋に来ると素晴らしいだろうと思いました。たぶん、もみじの名所なんじゃないでしょうか。 山の中をあちこち歩いているうちに、つい山登りもしてしまい、靴ずれになってしまいました。あ〜、これは何だろ、足に来るとは。 本堂で祈っても、思っていたより感じが良くなかったので、ちょっと不思議な気がしました。んん〜?毘沙門天さんとは、仲良しのはずなのに? 山登りさせられたことといい、靴ずれといい、何かひっかかる感じがします。この理由がわかったのは、大阪を離れてからでした。 しばらく、大阪での参拝のお話をしますね。
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自己実現が完成するころには、真面目さと遊び心も、両方共充分に発達しています。
自己実現を追及することを意識的に始めた人は、真面目な人が多いと思いますが、何をする時も、遊び心を忘れず楽しむようにしましょう。 「楽しむ」ということは、とてもとても大切なことなんです。人は、その物事を充分に理解し、充分に自分のものにできて、上手に使えるようになると、楽しいと感じます。楽しめているということは、その物事がしっかり自分のものになっているということなんです。 楽しめなくなってきたら、ひと息入れましょう。最初から楽しめないことには、手を出さないようにしましょう。物事を選ぶ時、実用性はもちろんですが、楽しめるかどうかということも考えて選びましょう。楽しめないことは、あまり良い学びになりません。 真面目で堅苦しい人柄よりも、真面目で厳しいところがありながら、ユーモアや余裕や遊び心があるというのが、自己実現できている人の人柄だと思います。
毎日念を押しますが、自分はできないから駄目と思わないでくださいね〜。誰でもいつか、こうなっているんです。誰でも、何10回、何100回と試行錯誤しながら、だんだんと上手になっていくんです。
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自己実現のころには、精神と肉体のバランスもとれて、両方が充分に発達しています。物質的なことも肉体的なことも、どちらも波動の低いことですが、波動の高さも低さもバランス良く発達しています。
書き方を変えました。言葉尻を変えただけで、ずいぶんと雰囲気が変わりますね〜。これからは、これでいこ。
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自己実現のためには、精神的・物質的というのも、どちらも発達している必要があります。精神世界の人は精神的な人が多いですが、苦手な物質面もちゃんと発達していなくてはいけません。
自己実現の状態をいろいろと読んで、こんなの無理だよ〜って、がっかりしないでくださいね。そりゃ、全部できてたら、もう自己実現してますって。本来の自分は、こんななんだ〜、いつかこうなるんだ〜と、喜んでいてください。
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ユング心理学に外向・内向という考え方がありますが、これも、自己実現するためには、どちらも発達している必要があります。基本的に誰でもどちらかにあてはまり、どちらかを発達させています。
外向型の人は、外で明るく社交的で、人や社会に合わせて生きようとします。内向型の人は、外で内気で暗い感じがあり、自分の心に従って生きようとします。外向・内向は内と外で逆転しますので、外での姿を基準にします。 外向的なばかり、内向的なばかりでは、バランスがとれていません。外向的な人からは内気に見られ、内向的な人には社交的に見られるくらいが、中庸の感じだと思います。 人生の前半は、自分の本来の型を発達させます。後半からは自分と反対の型を発達させてバランスをとります。 自己実現のためには、外向・内向、両方のバランスがとれていて、両方とも充分に発達している必要があるので、人生中盤以降でないと、自己実現の完成は難しいということになります。
今まで、祈らら内部のことばかり考えていましたが、このごろは祈ららの外へも発信していくようになってきました。このブログも、そのひとつです。自然のなりゆきですが、これからどうなっていくのかな〜。 ![]() |
自己実現には中庸であることが必要です。世界と自分が一体化するからです。自分が世界の相似形でなくては、一体化できません。
モーツァルトのピアノ協奏曲を、ずーっと聴き比べています。今、15人聴きました。んー、どれがいいかな〜。聴き比べが終わったら、ブログで書きますね。 ![]() |
自己実現と悟りは、過去も現在も誰にとっても共通の目標です。
けれど今までの文化の中では、自己実現はとても難しかったと思います。文化もまた自己実現に向かって進んでいるわけですが、文化の自己実現の程度が低かったため、ハイレベルな精神状態へ向かうための、現実的な状況が整っていませんでした。 だから悟りは仏教の専売特許にようになっていて、「女性は悟れない」とも言われたんでしょう。自己実現すれば悟れる、でも今までは、特に女性が自己実現できる世界ではなかったから。 それが最近では、科学その他の変革がめざましく、人の心も発達して、様々なものを認める文化的な土壌ができてきました。これによって、自己実現をめざす道のりは、昔にくらべたらずいぶんと平坦になったと思います。 地球上の文化の自己実現が進むと、地球そのものの自己実現もやはり進んでいます。そして、これからアセンションだというわけですね。 今このような恵まれた状況に生きていることは、昔の人たちからすれば、どれ程ラッキーでうらやましいことでしょう。せっかくのこの時代の追い風の中で、ひとりひとりができるだけ自己実現への歩みを進めていきたいものですね。
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悟りの感覚ってどんなものかは、こちらをお読みください。他の人がどうなのかということは、私は全然知りません。
禅や空についての本を3冊ほど読みましたが、どれも本当にうまく説明してあって、舌を巻きます。さすが数千年の歴史です。 書いてあることが、何もかも自分の感覚とぴったりなので、自分の感覚が悟りと呼ばれているんだと気づいたんです。悟りの前には1冊も読んだことがありませんでした。 どの本がいいかということも、3冊しか読んでいないので、よくわかりません。そのうち2冊は借りたもので、書名も忘れましたが、3冊とも特に変わったところのない普通の本でした。 私は、悟りについて何も知らないで悟れました。ただ、自分の呼び声に惹かれて夢中で歩いただけでした。
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「自己実現」という言葉については、いろいろな場所でいろいろに使われているので、私がここで使っている意味を、世の中の人達皆が使っているわけではありませんので、ご注意くださいね。
一般に、立派な社会人になるというような意味や、自分らしい生き方を見つけるというような意味で使われたりしますが、私が使っている意味は、この地球で可能な、最後の段階に至った精神状態のことです。 もし地球や肉体からの束縛を出たとしたら、その先にもまた、その先なりの自己実現が待っていると思います。 自己実現に向かうエネルギーが、人間のすべて、生き物や自然のすべてに共通の方向性だと考えています。 生き物や自然のすべてが自己実現に向かっているということは、いずれ科学的に実証されるか受け入れられ、今の健康ブームと同じように、自己実現を目標にするのが当たり前の時代が来ると思います。
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人生はじめのころには、寝ても覚めても夢中になっている必要のあったものが、自己実現の後にはただのおまけになってしまう。それほど、自己実現のはじめと最後には差があります。
人生はじめのころの悟りと自己実現後の悟りは、周囲の人からは見てもわかりにくいのですが、スポーツ選手の悟りの状態は、比較的わかりやすい気がします。 スポーツ選手の集中力や精神力が非常に高まっていることが、誰が見てもわかることがありますね。そうなると、誰もかなわない状態になり、その人だけ異次元に入ったようにも見えます。あのパワーが、悟りには必要です。 自己実現の後には、それも自然に手に入っています。一歩一歩あるくことで、知らない間にとんでもなくレベルが上がっているんですね。 毎日なんとなく、できるだけ何ごともないことを願って生活していては、自己実現したり悟ったりということはありえないことだと思います。
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自己実現と悟りは別のものです。「恋愛で悟る」の1の段階以前に、一度悟りのチャンスがあります。それを逃すと、自己実現の長い道を成就すると、自然に悟っています。
1の段階以前の悟りは、若い男性専用なので、こちらには触れないことにします。そうすると、自己実現と悟りは別物ですが、ほとんど同じ場所にあることになります。 触れないと言ったばかりですが、1の段階以前の悟りでは、悟りについていつも考えていることが必要です。寝ても覚めても悟ることに夢中になっている必要があります。 スポーツ選手や芸術家など、専門分野を極めた時にも、最高の瞬間にだけ悟りがやってきます。この場合も、寝ても覚めてもその分野に夢中になっていることが前提です。 自己実現とそれに伴う悟りのためには、悟りのことを考える必要はありませんが、自己実現することに夢中になっている必要があります。自己実現した人にとって、悟りはおまけです。
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精神世界を歩む人は、現実に足をつけて歩むことを忘れがちです。それでは、悟れません。悟りには中庸が必要であり、精神と現実との中庸も実現していなくてはいけませんから。
その精神と現実を学ぶのに、恋愛が教材なのですから、楽しいじゃありませんか。 アセンションとは悟ることです。精神世界に夢中になるあまり、現実を離れて悟りから離れていては、本末転倒です。 霊感を使って人の役に立つことが、魂の最終的な幸せなのではありません。そのような能力者の能力を利用するのは構いませんが、目標にしていては、悟りから離れていきますよ。目標は悟っている自分です。 自分以外の存在を目標にしないのが、自己実現まで成就するコツです。小さい目標なら誰かでもいいですが、最終目標は自分ですよ。 精神と現実とのバランスをとりながら、楽しく賢く上手に恋愛をして、心を磨き上げ、転生卒業を目指していきましょう。 尚、1〜3の段階はユング心理学の第1段階、4の段階はユング心理学の第2段階、5の段階はユング心理学の第3段階、6の段階はユング心理学の第4段階、7の段階はユング心理学の変容後に対応しています。 恋愛で悟る おわり みなさん自己実現や悟りのお話がお好きなようなので、明日からも恋愛以外の、そんなお話をしてみましょうかね〜。
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ワタシはどこにいるのかな?と思われながら読んでくださった方も多いと思います。
単純に人数が一番多いのは、1〜3の段階です。各種セラピーやワーク、ヒーリング、チャネリング、占いなどを利用して、進歩成長ができているようでしたら、この段階だと思います。これらのスピリチュアル産業は、1〜3の段階の人を応援するために存在しているようなものです。 技術が向上して、教える立場、これらの産業に従事する立場になった人も、この段階にいる人が多いです。教える立場の人達をさらに教える立場の人達は、4の段階以降にいる人が多いと思います。 4の段階は、とにかくしっちゃかめっちゃかの大恋愛を全力疾走していて、毎日がハリウッド映画のようだと本人たちは思っています。 5の段階は、専門知識を向上させることに夢中で、異性の指導者にあこがれまくっています。これかなと思っても、大恋愛成就の経験がなければ、残念ながら1〜3の段階だと思います。 6の段階は、異性の神とのおつきあいが、生活の中心です。 7の段階では、悟りがあります。 大雑把に目標を持っていると、進歩のしがいがあるというものですね。 いつの間にか、とんだ連載になっちまいましたよ。ぜんぜん日記じゃなくなってるし。ブログのタイトル変えようかなあ・・・。 明日、最終回。
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