なぜ人は安定を求めるんでしょう。
本当は、自分は、調和させよう、バランスさせようとしているんです。 それが、この世の見た目にごまかされて、安定しようとしていると思い込んでいるんです。 物は、どっしりと止まっているように見えてしまうから。 でも、その物は止まっていません。ただの映像です。 見えている物のように、どっしりと止まろうとは考えないで下さい。 つい止まって安定しようとしてしまう人に、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 止まって安定しようと考えると、永遠にうまくいきません。太鼓判! 安定したと思っても、むなしさがやってきます。 動きながら調和しようと考えてください。この調和がうまくいくと、気持ちのいい安定感がやってきます。 バイクの話で恐縮ですが、バイクは止まると立っていることができず、こけます。 ゆっくりだと、不安定です。 ある程度スピードを出すと、しっかり安定して、手を離してもまっすぐ走ります。 こんな感じ。 バイクでなくても、ひとつの場所にじっと立っているのは苦痛ですよね。 あちこち動いているのが楽です。動きながらバランスがとれるから。 止まっているものは何もないんだと、思っていてくださいね。 動きながら調和したい人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
目に見えているものや目に見えている世界が、本当に存在しているのだと、心からは信じないで下さい。
見えているものは、見えていると感じられているだけ。触っているものは、触っていると感じられているだけ。本当に存在しているとは言い切れません。 それらは、ただ感じられていると言えるだけです。 この世は、物質というきまりの中で感覚のゲームをしているんです。 すべてが、あるといえばある、ないといえばないんです。 よくわからなくなってきた人に、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 投影された像の中で生きているようなものです。 世界は全部投影で、自分すら投影の一部です。 だから安定を求めても、不幸になるばかり。 安定ということが、現実に反しているからです。 現実は不安定で夢のようなもの。 この夢のなかで、くらげのように、柳のように漂うのに慣れると、だんだんと楽しくなってきますよ。 感覚的なコツをつかみたい人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ↑ アップロード済み ![]() |
もし何か悩みがあるとしたら、何かに執着しているからだと思います。
これがいいと言われているから、自分もこうでなくてはいけないと思っていませんか? それで、堂々めぐりしているうちに、悩みになってしまっているのではありませんか? どうやったら、なりたいものになれるんだろう? なにたいものになれなくて悩んでいる人に、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 それは、自分が本当に魂から望んでいるものを望めば、なれるんです。 今望んでいるものがどうしても手に入らなくて、悩みになっているほどなら、それは人がいいと言っているだけで、あなたは心の底から望んではいないのだと思いますよ。 心から望んでいるわけではないのに強く欲しがると、それは執着になってしまいます。 自分が心から望んでいるものは何? 人の言うことばかり聞いていると、人がいいと言うものが良く思えてきて、自分の本当の望みがわからなくなります。 いつも一歩下がって、自分に問いかけてください。 自分の本当の望みは何? 望みを実現したい人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
ひとつのことを長く続けなくてはいけないと、私も以前は思っていました。なぜだか、そう教えられたからです。
教えた人はなぜ、そう教えたんでしょう。その人もきっと、なぜだか、そう教えられたからでしょう。 始めたことは、つらくても続けないといけないのではないかと悩んでいる人に、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 社会は、安定を望みます。その方が、全体を管理しやすいからです。変わらないことを望み、全体が安定していれば、個人もその恩恵を受けられると思っています 社会は、人が個性化を進め、自己実現することになど、関心がありません。人が精神的に発達すると社会から自立していくので、社会には嫌なことだからです。 悟りのためには、学ぶべきこと、経験してクリアすべき課題がわんさとあるのに、安定や不変を求めていては、時間が足りません。 そうやって、また今生もわずかしか進まずに終わりにしてしまうのですか?せっかく勇気があるなら自分の道を歩むことのできる時代になったのに。 長く続けられないかもしれないなどと言わず、興味を持ったことは何でもやってみましょう。そのことに惹かれるのなら、きっと学ぶことがあるはずです。 もう学ぶことがなくなっていて、発展の障害になっているようなことは、すっと手放しましょう。可能性は他にも、いくらでもあるはずです。 どんどん変化成長したい人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
自分が花だとします。自分の周りにはいろいろなものが見えます。
「自分」という一輪の花以外は、自分ではないものとして見えています。 花には茎があり、花から見てさらに遠くに根があります。その根が、私がいつも「本当の自分」と書いているものです。 だから、自分からは本当の自分は、自分ではないように見えています。でもそれはそう見えているだけで、本当の自分からは、花一輪の自分も、自分の一部です。 こちらからは見えないだけ。あちらからは自分の一部として見えています。 これは、花に例えましたが、同じことが自分と世界との間にも成り立っています。 自分から見ると、自分以外のものは全部自分でないように見えています。 けれど、自分でないと思っているところに自分の本当の中心があり、それが本当の自分です。 自分の中心は、自分ではないように見えるんだなと思った人は、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 世界は自分だというのは、こういうことなんです。他人が自分だというのも、こういうことです。 肉眼で見えていることがすべてだと思っていると、いつまでたってもこのことに気づくことができません。 花は上を向いています。自分の背後は見えません。自分の背後がどうなっているのか、それを知るためには、目を閉じて、心の眼で自分の感覚を探るしかないんです。 悟ると、このことがはっきりと自分のものになります。世界は自分であり、自分がすべてであり、いつも自分のすべてとつながっているという、一体感の中で生きるようになります。 人はこの一体感を知っているので、常に戻りたがります。それが本当の自分のあり方なのだと、感覚は覚えているからです。 人は、まず親に、そして恋人に、配偶者に、友人に、この感覚を求めますが、誰も完全には望みをかなえてはくれません。この感覚を取り戻すことは、本当の自分になることでしかできません。 世界との一体感を取り戻したい人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
本当の自分の声を聴いて行動することと、わがままとは紙一重です。
それがわかるから、なかなか実行できない人も多いのかもしれません。 本当の自分に従うことは、わがままなんじゃないかと悩んでいる人に、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 まあ確かにそうなので、そこらへんは微妙なバランス感覚が必要になってきます。 ここまではゆずれない、これ以上は自分を通すのはいけない、という一線をうまく見きわめたいですね。 なかなか難しいことですが、何度も失敗しながらでいいですから、感覚をつかんでください。 あまりにも自分の内面の声に夢中になっていると、人に迷惑をかけることがたびたびになってしまうかもしれません。 内面の声に従うことに集中したくなったら、最初から人とのおつきあいを減らしましょう。人のことも考えられる余裕が出てきたら、また増やしていけば構いません。 人との時間を楽しんでいる時に、急に今からあそこの神社に行かなくちゃいけないと言って、その人との時間を台無しにしないでください。 内面の声にすっかり従うのは、ひとりでいる時。そうしたい気持ちなのでしたら、最初からひとりになってください。 その代わり、ひとりの時には常識を忘れて、子供のような真っ白な気持ちで、今、興味関心のあることだけをしてください。 自分で考えるというよりも、自分の中の子供の心についていくような感覚がいいと思います。 誰かとの時間を楽しむために会っているのでしたら、その目的に集中して、その場にふさわしい自分になってください。 こうした一線をかっちりと引くことは、何にも振り回されないでいるために、必要なことですから真剣に身につけてくださいね。 わがままにならないで本当の自分の声に従いたい人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
自分に無理な理想を押しつけている人が、とても多いように思います。
社交的でなければならない、能力が高くなくてはならない、しっかりしていなくてはならない、何事もきちんとしなくてはならない、苦しくてもがんばらなくてはならないなど、人によっていろいろです。 理想に苦しんでいる人に、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 テレビや雑誌などの影響で、理想的な人間像のようなものがあり、それに近づかなくてはいけないと思い、そうできなければ、できないことを非常に苦にしています。 それで自分を認めないことになり、自分への攻撃になり、自分で自分を嫌い苦しめることになって、ついには病気になっている人もいます。 世の中は多様になっているようで、いつまでたってもどこか画一的です。 いろいろなことが進んでいるのに、みんなと同じでなくては怖いという感覚は、何10年前と全然変わっていないように見えます。 画一的な理想に自分を近づけようとして、自分を偽り続けるつもりですか? それほど苦しいのに、そのままもっと苦しめば、幸せにたどり着くと思っているのですか? 心も体も、必死で抵抗していることに、自分で気づかなくては、自分を止められる人は他にいません。 平安な世界は、外にはありません。すでに自分の中に広がっているのに、他を見つめていては、いつまでたっても幸せな自分に気づくことができません。 遠くばかり見て、自分は不幸だと嘆いているけれど、足元に落ちている幸せな自分を見るのを、忘れているだけなんです。 本当の自分の声は、テレビや雑誌や他の人は教えてくれません。消え入りそうな声を、自分の心で聴くしかありません。 本当の自分の声を聴きたい人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
8月20日、お仕事を早く終えて、何をしていたかと言いますと、インドのタブラ奏者、ザキール・フセインのライブを聴いてきました。
どうぞランキングに、一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 シタールは数人の演奏家を聴きましたが、タブラはいつもシタールのお相手という位置で、ドラムの中では一番好きな音ではありますが、あまり強い関心は持っていませんでしたから、ザキールの名前も知らず、演奏を聴いたこともありませんでした。 今回は、和太鼓、ドラムとのセッションで、メロディ楽器がないので、あまり期待はしていませんでした。 でも、ワールドミュージック系の人達がすごく騒いでいるみたいなので、普通の人じゃないらしいということはわかっても、所詮、ドラムばっかですからねえ・・・。 会場はライブハウスで、100席くらいのイスが並び、その後ろで500人位の人が立ち見でした。私は予約が遅かったし、会場に着いたのも遅かったので、立ち見。 ザキールが出てくるまでは疲れて、床に座り込んだりしてました。 ところがザキールがタブラを叩きはじめたらもう、疲れは全部吹っ飛びました。 なんちゅう、すさまじいテクニック、角度的にはちょうどいい場所で見ていたんですが、何しろ立ち見500人なもので、前に人がいて、ザキールの表情はずっとよく見えていましたが、手元は時々しか見えません。 でも、手元が見えても、高速すぎて手の動きは見えなかったので、どっちでも良かったのかもしれません。まるで扇風機みたいなんです。 様々な叩き方から生まれてくる色とりどりの音は、簡単なメロディを奏でることができるほどで、ただのドラムじゃありませんでした。 シタールの伴奏じゃなく、タブラが主役になると、あんなにすごいものだったとは。 惜しみなく機械のようにすさまじい数の音を叩き出しながら、その音のひとつひとつが全部命を持っていて、この世に生み出され歓喜しているようでした。 あんなにたくさんの音を生んで、どうするのだろうと思いながら見ていました。 明るく喜びにあふれた音の数々。 ザキールは、少しぼんやりとした表情で、手元だけは超高速で演奏しているんですが、彼はただタブラの皮を叩いているんじゃないことがよくわかりました。その表情は、外を見ていない、内面に集中していることが明らかでした。 ザキールが叩いている時間は、本当に短く感じました。彼が叩けば、みんな大喜び。だって、彼の周りだけ、自然が広がっているみたいなんだもん。 本当に、ものすごいものを見ました。今まで出かけたライブの中で、1番良かったかも。ウィーン国立歌劇場のフィガロを聴いた時のショックも忘れられませんが、今回も驚愕のライブでした。 エネルギーをもらうとか、元気をもらうとかよく言う言葉だけど、ザキールの音からは本当に力強い喜びが、シャワーか噴水のようにばら撒かれていました。 体がふわふわして、こんな素晴らしい演奏に出会えた喜びに震えています。 これからCDを買い集めます。 このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
あまり好きでもないのに、なぜか気になる人がいて、それが不快で忘れたいのに、どうしても気になってしまうことはありませんか?
ランキングに、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 それは、相手の人が、自分に今必要なものを持っているからなのかもしれません。 冷静になって、相手の人が持っていて、自分が持っていないものは何なのか、考えてみてください。 それは、自分にない何かで、自分から見てその人を特徴づけている何かのはずです。 相手の人は、自分にない社会性を持っていて、人付き合いが上手なのかもしれません。 仕事で成功しているのかもしれません。 あこがれの仕事をしている人かもしれません。 サーファーなのかもしれません。 裕福なのかもしれません。 頭がいいのかもしれません。 理性的な人なのかもしれません。 女性らしい人なのかもしれません。 自分になくて相手が持っているもので、自分にとって、その人を特徴づけているものが見つかったら、それが今、自分が向かい、学び、手に入れるべきもののはずです。 それが手に入ったら、忘れられなかったその人のことも、心の中から消えていくはずです。 惹かれる感情に夢中にならないで、何度も何度も考えてみてくださいね。 一度では、うまく見つけられないと思います。 自分にとって弱点になっていることは、見えにくいからです。 これかな?と思ったことは、それを学んでみてください。 少し自分のものになったのに、まだその人に惹かれるようなら、また他の可能性を探してください。 そうやって前進しているうちに、いつかこれだということが見つかると、見つけたとたんに、楽になります。 自分にないものを人の中に発見し、その人とつながることで、自分の苦手を人にやってもらうという方法は、自己実現を目標にしている人なら、だんだんとやめていくことになります。 このことは、誰もが通る過程のひとつですから、できるようになってくださいね。 自己実現に向いたい人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
昨夜、テレビで「ラスト・サムライ」を観ました。欧米の人達の憧れを、そのままお話にしたみたいでした。あんな目に、あってみたいんでしょうねえ。
日本人が見ても、不自然な感じはまあ少なかったように思います。それでも、「殿」が兜なしで、最前線で戦っちゃったりとか、違和感を持ったことはいろいろありましたけど・・・。 トム・クルーズという人は、ちゃんとした人なんだなあと思いました。ただのアイドルではないんですね。 忍者も出てきましたが、ほんの少しかすっただけでした。あれ以上に出すとカッコ良さが忍者に奪われてしまいますからね。 ランキングに、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 私にとって、武士の鑑として最も印象に残っている武士は、楠正成(くすのきまさしげ)です。彼との関わりは、私の最大の思い出のひとつです。 私がまだ、自分のご縁を知らなかったころ、自分は南朝・北朝どちらにご縁があるのかと思って、軽い気持ちで神戸の湊川神社に参拝してみました。ご祭神は、楠正成公。 境内に入ったとたん、空気が光り輝き、大歓迎を受けていることがわかりました。拝殿前に立つと、泣きに泣き、祈りがなかなか進められませんでした。 目の前には誰も現実にはいませんが、心が伝わってくるんです。この相手は、遠い昔に知っていた相手で、親友だった相手だとわかるんです。それは、そうかな?というようなぼんやりとした感覚ではなく、まさに今現実にそんな相手に会った時のような、強烈で、はっきりとした感覚でした。 この参拝で、私は楠正成の仲間だったのだと判断しました。 その後、私は自分が足利尊氏にご縁が深いということが、わかってきました。楠正成は、足利尊氏と戦って敗北し、自刃したのです。 調べてみると、楠一族と足利一族の、複雑な関係がわかってきて、この家同志は敵でありながら、心の中では尊敬しあっていたことが明らかになってきました。 事実がわかると尚さら、湊川神社のあの大歓迎ぶりは見事で、楠正成という人の大きさを思い知らされます。その人達と戦い滅ぼしていった自分たちの運命を思うと、これを書いている今でも涙が流れます。 私は、供養や参拝の方法を覚えたため、たくさんの武士たちと交流できて、幸せでした。 武将たちは、本当に大河ドラマのように立派な人達ばかりでした。供養をしながら、相手の人たちの人間性の素晴らしさに、感動することがしばしばでした。いったいどちらが癒されているのか、わからない感覚になることもよくありました。 昔の人達は気持ちが素直で、暖かく、信仰心も持っているので、供養は停滞することなくどんどん進みました。(最近の人は、そうはいきません) それで、始めは恐る恐るでしたが、だんだんと供養に夢中になっていき、武士たちが好きになっていきました。 常々不満に思っていることは、武士たちの主従の絆の強さについて、ドラマや映画などではあまりメインに取り上げられないことです。家臣が主に忠誠を尽くす姿は比較的よく表現されますが、主が家臣を思う気持ちの強さも、供養していると非常に強く感じます。 別所長治(べっしょながはる)が2年間の篭城(ろうじょう。城に立てこもって戦うこと)の末、城兵の助命を条件に、妻子と共に自刃した時の辞世の歌は、泣かされる歌のひとつです。 「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我身とおもへば。」 武将なら誰もが、このような家臣を想う気持でいます。 武士の話になったので、つい、とりとめがなくなってしまいました。持てる力のすべてを注いで、合戦の供養をしましたから。 こんなに武士たちが愛しいのは、供養がうまくいったということですから、いいことだと思います。 供養や祈りについて、知りたい人は祈ららの祈りもおすすめ。 武士っていい人達なんだな思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
きのうはお経について書いたので、祝詞(のりと)についても書いてみましょうかね。
祝詞は、神社で神主さんが賞状みたいな紙をどばっと広げて、大声で読み上げる、神様への言葉です。 その内容は、「神様、ここにいる誰それの家族一同が健康でありますように、どうぞお守りください」といった内容です。 祝詞も結構ご利益信仰なんですが、波動は高く、清々しく、気分すっきり、元気になります。 祝詞を奏上する声が、お経の声よりも明らかに大きくても、疲れを感じることはめったになく、読めば読むほど力がみなぎってくる感じがします。 神社の鳥居をくぐった途端に、気持ちよくてたまらなくなることはよくありますが、お寺に入ったとたんにそうなることは少なく、どちらかというと、ぐったり疲れることの方が多いと思います。 神社の神様は、人々や霊の苦しみや、苦しみを生み出す不浄な想念を嫌い、取り扱ってくれません。 神社は、1に浄化、2に浄化、3も4も5も浄化というポリシーです。 お寺の仏様は情深く、人々や霊が苦しみから脱して少しでも幸せに向えるように、慈悲深く手をさしのべてくれます。 それで、こんな違いができてしまっています。 ですから、浄化が欲しいときには、祝詞が向いています。ただ、祝詞の内容そのものはご利益信仰になっているので、文字面にはあまりこだわらず、祝詞で呼び出される神の波動を重点的に受け取るようにすると良いと思います。 元気が欲しい時には、どんどん力が入ってきますよ。 祝詞を使った祈りについて、知りたい人は祈ららの祈りもおすすめ。 祝詞は元気をくれるんだなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
お盆は終わりましたが、先祖供養についてです。
何となくお経というものにひかれ、興味を持っている人は、案外いらっしゃるみたいです。中には般若心経を覚えて、そらで言える人もいるかもしれません。 覚えたお経を、ただ暗誦するだけでなく、お墓参りやご自宅のお仏壇で唱えると、役に立ちます。 お経に関心のある人は、どうぞ一票を。→→人気ブログランキングに投票されます。 お経を唱えると、相手がとても喜ぶのがわかります。 お経に書いてある内容は、般若心経でしたら「空」についてですから、普通の霊には高尚な内容です。 だから波動の低い霊が寄りつきにくく、比較的安全に唱えられるお経だと思います。 けれど、供養したい霊が普通の人の霊でしたら、もっと内容が世間的な、他のお経の方が喜ばれます。 観音経や阿弥陀経など、他のお経は、観音様を信仰すればこんな良いことがある、阿弥陀様を信じればこんな極楽浄土に行けるといった、ご利益信仰になっていて、お経を必要とするようなエネルギー不足の霊のレベルでは、こちらの方を好みます。 けれど、読む人には、レベルの低い霊がどっとかかってくるので、体力を消耗します。 お経を読んで供養することで、実際にどんな変化が起こるのか、試してみられると良いと思いますよ。 お経を読むことは、しんどいことだということがわかり、般若心経以外のお経は、もっとしんどいということも、あまり敏感でない人でもわかると思います。 ということは、それだけ霊が受け取っているということで、霊のあり方について、ご自分の体で実際に感じることができると思います。 お経には、そのような力がありますから、目的をしっかりと持って唱えてくださいね。 日ごろから毎日何時間もお経を唱え、きつい供養を習慣にしているわけでもないのに、合戦跡地の碑の前で突然唱えたりしないでくださいね。 使い方によって大きなことのできる道具だからこそ、丁寧に扱う必要があると思います。 先祖供養のしかたについて、知りたい人は祈ららの祈りもおすすめ。 お経って力があるんだなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
恋愛の中で、男性はよく自慢話をします。女性はそれを真に受けて、よく信じます。
男性の自慢という幻想に、男性も女性も取り込まれ、それでふたりが親密になるのなら、それでいいのかもしれません。 でも、女性がだんだんと男性の性格を知り、自慢話が大きな幻想だったと気づくこともあります。 皆様、ランキングに一票をお願いします。→→人気ブログランキング 男性は女性に好かれたいあまりに、大げさに自分をアピールしがちです。そして、男性は非現実的な性質のため、その内容を自分で真面目に信じていたりします。 女性がなぜ、男性の大げさな自慢話に簡単にだまされてしまうかというと、女性は現実的なので、「それがいくらかは本当でなければ、こんなに自分で信じたりはしないだろう」と思うからなんですね。 女性は、現実の結果がしっかり返ってきているものしか、信じないところがあります。ただの思い込みで、自分は素晴らしいとは思えないのが女性です。だから、男性もそうだろうと考えてしまうんですが、男性は違うんですね〜。 自慢話の多い男性には、要注意!現実がよく見えていない、不誠実な人に違いありません。 だまされないぞ〜と思った人は、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
カルマや浄化すべきものを持っていると、浄化のエネルギーに触れた時には、それが現実生活の中に出てきます。
それで流れていくので、その分浄化されて良いことなのですが、本人としてはちょっとつらいものです。 皆様、ランキングに一票をお願いします。→→人気ブログランキング お金を持っていると、お金で浄化が起こることもよくあります。 お金を持っていなくても、さらにお金の浄化がかかることもありますが、お金がない人は、お金の管理に注意していることが多いので、お金のある人に比べると、いくぶんその機会は少ないかも。 何10万円、何100万円、何千万円のお金がだめになってしまったという話を、時々聞きます。 人の魂は、不浄なものが内にあれば、いつでも浄化したいと願っているんですね。それで、お金という、健康を犠牲にしないで浄化できる手段があるとしたら、できるだけそれを使おうとするのかもしれません。 お金は、社会の血液のようなもの。この世の様々なものが、お金の中に流れています。 お金は暖かいものであり、愛情の代わりであり、人間の生命力の証でもあります。 お金の中には、その人と社会との関わりが如実に表われやすく、社会への霊的な借金があれば返そうとしますし、社会への霊的な貸しがあれば、戻ってきて潤います。 お金で大損をしたら、自分や先祖の社会への迷惑を、お金で返したのかもしれません。 それは損ではなくて、残っていた支払いをしただけなのかもしれません。 そうだな〜と思った人は、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
女性は、自分の中の男性らしさが未発達なので、男性らしい人にひかれます。
その男性らしさは、社会性であったり、肉体的な強さであったり、意志の強さであったりします。 男性は、自分の中の女性らしさが未発達なので、女性らしい人にひかれます。 その女性らしさは、家庭的な感じであったり、神経のこまかさであったり、従順性であったりします。 男女は、お互いに自分にないものを相手に求め、自分の代わりに相手にそれをしてもらい、役割分担をして、ひとつの共同体を作り上げています。 ひとつのチームとしては、それで構いません。 けれど、ひとりの人間としては、自分の一部でしか生きていない状態です。 本当は、女性の中にも社会性や、肉体的な強さや、意志の強さがあります。男性の中にも家庭的な感じや、神経のこまかさや、従順性があります。 その苦手をパートナーに任せて、その間に、得意な部分を発達させる時期がしばらくあります。女性は女性らしさ、男性は男性らしさを磨きます。 けれど、それが終わったら、次は苦手分野を延ばしていく時がきます。 その時、パートナーとのタイミングが合わなければ、二人の中でずれが起こります。 どちらかは前進を望み、どちらかは今までのままを望むかもしれません。大抵はそうなのです。 創造的な人は、前進せずにいられないでしょう。創造というのは、過去の安定を壊して、新しく物事を作りあげていく作業ですから、安定を望む人からは大反対を受けることが多いでしょう。 前へ進むか、相手を思いやってとどまるか、でもそれで自分は満足できるのか、そこで皆、悩むでしょう。 前進するか、とどまるか悩んでいる人に、一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 何度も何度も、本当の自分の気持ちを確かめ、最終的には前進を選ぶことになるでしょう。それが、自分と相手と世界に対する誠実だからです。 こうして、離婚が増え、社会の安定が揺らいでいき、安定への幻想がこれからもどんどん崩れていくでしょう。 そして人はだんだんと、止まることではなく変化が自然なあり方なんだということを、受け入れていくことになり、社会は成長していくのだろうと思います。 安定に執着せずに変化していこうと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
常識があり、洗練された態度の人を見ると、誰でも安心しますね。
それは、その人がこちらを不快にせず、快適にしてくれるだろうと思えるから。お互いに敬意をはらいながら、おつきあいができそうに感じます。 でも、社会的に理想的と思えるようなその人が、人間全体としてもすぐれているかどうかということは、別問題です。 常識の豊かさは、この世の現実をどれだけ上手に渡ることができているかということで、内面がどれだけ成長できているかとは、関係がありません。 常識豊かでも、すぐれた人とは言えないんだなと思った人は、どうぞ一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 反対に、人に対する態度がぎこちなく、スマートに振舞えない人が、精神的に幼いかというと、そうとは限りません。精神的な人は、そういう人の方が多いんです。 自分の外にばかりエネルギーを注いでいると、人間関係やお金を手に入れるなど、社会的なことが上手になりますが、自分の内面に目を向けて生きることがおろそかになります。 自分の内側にばかりエネルギーを注いでいると、精神的には豊かになりますが、社会的に不器用になって人付き合いが苦手で、貧しくなります。 精神的に成長するということは、内面にエネルギーを向けることを中心にして、必要な分だけ社会性を身につけるというバランスで、実現していきます。 人前で要領よく振舞えないことに、劣等感を感じる必要はありません。目に見えるものに、惑わされないようにしましよう。 常識よりも、内面を中心にして成長していくんだなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
自分を否定していると、その気持ちが相手に伝わって、人から否定されます。嫌われたり、敬意を払ってもらえなかったりします。
自分を否定するのは、自分が理想通りでないからですね。理想通りの自分でないと許せない、完全主義な性格なんでしょう。 それは、自分の思った通りでないと許せない、許容できない、受け入れられないということですね。 その心の狭さが、人に伝わり、周囲に伝わり、結果的に自分の環境となって戻ってきます。 つい自己否定してしまって苦しんでいる人に、一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 自分にできたら自分を許そうと思っていると、いつまでもそんな日はやってきません。 神と話ができたら、神を信じようと思っていても、誰かが愛してくれたら自分は愛されるべき人間だと信じようと思っていても、きっとそんな日はやってきません。 ものごとは、心の中にあるものが原因で、現実を創っていくものだから、順序が逆なんです。 神を信じていると、何かのきっかけで交流が起こります。 自分は愛されるべき人間だと思っている人が、愛されます。 自分を許していると、快適な環境になり、人からも許され認められます。 自分の心の中が、物事の始まりで原因です。 心が現実をつくっているんだなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
男性には、子供で悟る方法と大人になって悟る方法の、2つの方法があると以前に書きました。
子供として悟るためには、恋愛や遊びやお金などにうつつをぬかしていては無理だと思います。 古風に、悟り以外のことを考えず、毎日悟りへの道に精進する必要があると思います。 悟りへまい進している人に、一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 それが自然にできない、楽しめない、がまんしなくてはいけないと感じる人は、元々子供として悟る方法を、選んでいないんでしょう。 異性に魅力を感じる、悟り以外のことに強くひかれる、他のことも楽しみたいと感じるのなら、世の中のことを総合的に身につけて、大人になって悟る道を、すでに歩いていると思います。 そういう人が、子供で悟る方法でがんばろうとしても、苦痛なだけでしょう。 自分がどちらのタイプなのか見極めて、自分に合った道を歩いてください。 自分はどっちのタイプなのかなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
以前に、感情のコントロールができなくては霊感のコントロールはできないと書きましたが、実際には、感情はコントロールできないのです。
現実としては、感情的になりにくくなる、気持ちが盛り上がっても、ひきずらない、執着しない、そしてあまり時間をかけずに平静にすっと戻るようなら、それでうまくコントロールできていると考えていいと思います。 感情の取り扱いは難しいですね。 感情の取り扱いに困っている人に、一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 感情的になりにくい方がいいといっても、感情が生き生きしていないのも困ります。静かな人は、そうなりやすいですね。 喜ぶべき時に喜び、楽しむべき時に楽しみ、怒るべき時に怒り、悲しむべき時に悲しむ、そうした自然な動きとメリハリも必要です。 それでいて、感情が過剰になりすぎず、一時的に大きく揺れたとしても、すみやかに静かに戻るのがいいですね。 一時的な大きな揺れも、時々はある方が、創造的に活動できていると思います。 でも、苦しくなるほど大揺れするのはいけません。楽しめているかどうかが、過剰か創造的かの境目でしょう。 大きな揺れも小さな揺れも、あまり抑えつけず、流れのままに流しながら、気がつけばちゃんと中心に戻るという感じが理想でしょうか。 こういう感情の動きがしっかりと身につくと、感情で失敗することがほぼなくなってきます。 感情はこんな風になればいいんだなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
守護神を教わって、どうするんでしょう。ああそう、ただそれだけ?
それなら知る必要はないし、ただ何となく生活しているだけの人には、守護神はあまり働いていないでしょうから、守護神も知って欲しいと思っていないでしょう。 その人が精神的な進歩や、自分の人生の本来の目的に向かって歩き始めたり、社会貢献度の高い生き方を始めると、守護神はぐいぐい働きはじめてくれます。 人によって、神だったり仏様だったり、いろいろでしょうが、その人の動きが充実してくると、守護の神仏は活発になり、増えてきます。 守護神仏が働きはじめた人に、一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 その相手が自分を守ってくれているのかどうかは、神社仏閣に行くと、かなり簡単にわかると思います。特別な感じを受けますから。 その土地や神社仏閣の名前が前から気になって仕方がないとか、行ってみたら自分の家に帰ってきたような感じがしたとか、本物の親のように感じるとか。 でもそれは、その人が本来の自分になるためや、社会貢献のために一生懸命になっているからこそ、そんな反応をしてくれます。 何の向上心もなく、ただ世の中の流れのままに生きているだけでは、そう強くは反応してくれませんが、そこは守護神仏なので、それでもふわっと、優しさをかけてくれると思います。 この相手は親切にしてくれるとか、この相手は自分に厳しいなどということがわかってきて、さらに何度も足を運んでいると、どんな風に親切なのかもイメージができてきます。 この相手は守護をしてくれている、この相手は普段の守護はしてくれていないけど家族みたいに近い関係のように感じる、この相手は守護をしてくれたがっていて自分が受け入れるのを待ってくれている、この相手は細かい守護をしてくれている、この相手はおおざっぱな守護をしてくれているなどなど。 精神的な進歩をもとめ、実際に自分の足で試行錯誤しながら歩んでいるとか、社会への貢献や奉仕を実行しているのでしたら、その歩みは元々、守護神仏との二人三脚で進んでいるのですから、守護神仏との絆を深めると、もっと前進できるだろうと思います。 守護神が立派だから魂が立派だなどということは、まったくありません。その人が今、どのような生き方をしているかによって、守護神がどれだけ働いてくれるかが変わります。 少ない守護で充分な生き方なら守護は弱く、大きな守護が必要なダイナミックな生き方をしているなら守護は強くなります。自分が、守護を引き出すんです。 神仏と仲良くなりたい方は、祈ららの祈り通信講座へ。 自分の生き方しだいで守護が強くなるんだなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
無我になるとか、すべて任せてしまうとか、時々聞きますよね。そうするといいって。
無我になるというのは、何かに夢中になると、誰でも自然にそうなっていますから経験がありますね。 そういう時は、とても素晴らしい状態になっているんですが、意識的にはなかなかなれないものですね。 それを意識的にしようとすると、自分の人生をすべて任せるということになります。 すべて任せてしまっていいんだうかと、不安になるでしょうね。 自分を放棄していいんだろうかって。 構わないんですが、責任まで放棄するわけじゃありませんから、気をつけてくださいね。精神的に幼い人は、無我になろう、自分を捨てようと思って、バランスがうまくとれず、やるべきことまでやらなくなってしまいがちですが、それは違っています。 自分を任せてしまうことに四苦八苦している人に一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 自分を放棄していいのは、なぜでしょう。 それは、心の世界には自分しかいないからなんです。 自分を放棄した、すべて大いなる他者に任せてしまったと思っても、現実にそうしたとしても、実際にはそれは不可能なんです。 心の世界に、他者は存在しません。 それなら、いったい何が起こっているんでしょう。 意識的な自分を放棄して、大いなる自分にすべてを任せたことになったんです。小さな自分が、大きな自分に従ったんです。 これで、何もかもうまくいかないはずはありません。 大いなる自分(ハイアーセルフ)が人生を操縦しはじめ、ものすごいパワーで本来の人生を実現しはじめます。 この状態が毎日朝から朝まで実現したら、その人は今生死ぬまでに、その人の目的を果たすことが大体できるだろうと思います。 実は、さらに先があるんですが、まずは、自己放棄という陶酔の世界を知ることを、ひとつの目標にするといいですよ。 自己放棄できた状態は、以前書きました「恋愛で悟る」の「第6の段階・神に恋する人」に当たります。ちょっとハイレベルですが、悟りや自己実現をしたい人なら、必ず通らなくてはいけない場所です。 これからこの段階に入る人だなとか、この段階の人だなと思う人を時々見かけますので、書いてみました。 自己放棄できるようになりたいなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
ビル・エバンスのコロコロところがっていく繊細なピアノの音、まるで自分と対話しているかのような深い内向性。 トリオならではの、緊張感あふれるスリリングな演奏です。 ビル・エバンスの美しい演奏に一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 私はもう、CDがすり切れるんじゃないかって程、聴いてます。 ビル・エバンスのピアノの音色に合う、キレイで可愛い曲がいっぱい入っているのもいいところ。 ジャズは独特の暗さがあって、とっつきにくい感じがするかもしれませんが、これはジャズ入門にもぴったりな聴きやすいアルバムで、しかも名盤です。 ピアノの美しさに酔いしれながら、バックに入っている食器の音や人のざわめきなどが、ライブハウスの雰囲気も楽しませてくれます。 普通、演奏中はしーんとしてるものなんですけどねえ〜、この名演奏を目の前にしておしゃべりできるとは、お国柄なのかな〜。 ジャズを聴いてみようかなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。過去最高位になっています。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
人は、自分や家族を養うために、仕事をしなくてはいけませんね。お金を得るために、仕事をします。
仕事はまた、その人と社会との関係をあらわすものであり、仕事によって、社会貢献をしています。 お金がどれだけ入って来るかは、自分が社会にどれだけ与えたかどうかということが基本だと思います。 与えるものが多い職業では、収入が多くなりやすく、与えるものが少なければ、収入は少なくなるように、大体なっていると思います。 社会に与えただけ収入があるんだなと気づいた人に、一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 自分は、社会に何を与えられるのか、何を与えたいのか、何なら与えることが喜びと感じられるのか、そう考えて職業を選ぶと、早く適職にめぐりあえると思います。 今の仕事をしていて、もっと自分には与えられる、もっと世の中に与えたいと思えば、社会貢献度の高い職業へ変わっていくと、収入も増えていくのが自然ですね。 でも、いつも人や社会から受け取ることばかりを考え、自分が与えることを忘れていると、このバランスが崩れて、仕事によって幸せを感じることが難しくなります。 できるだけ楽をしてお金を得ようとばかり考えていても、バランスが崩れます。 自分を生かして与えることができると、自分にとっては結果的に楽なことと感じられます。そういう楽をしようと考えるなら、バランスは崩れません 仕事から、与える喜びと、現実を豊かにする喜びの両方をたくさん得られたら、幸せですね。人によって違いますが、フルタイムで働いているなら、仕事は起きている時間の半分程度を使うものですから、ぜひ仕事で幸せを感じられるように、前向きな考え方を身につけてくださいね。 社会から与えてもらい、自分も社会に与えて喜びを感じることができるというのは、精神的に大人になったということです。社会と自分が対等の関係で結ばれているのが、大人です。 社会に与えて喜びを感じられるものを探そうと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
自分は人よりも人生がうまくいっていないと感じるなら、人生に対する考え方が、うまくいっていないんだと思います。
カルマというのも関係してきますが、カルマだって、前世で考え方がうまくいっていなかったから、作ってしまったものです。 考えてみれば、人生というのはよくできています。考え方が良くないと、ちゃんと、良くないという現実がやってきますから。 人は、うまくいっている時には自然に「これでよし」と思うものですから、変化しようとは思いません。 うまくいかないなと思うと、変わらなければと考えることができます。 変わらなくちゃと思っている人に一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 うまくいかないことがあるのに、すぐに自分が変わる必要があるということに気づけない人は、まずは心と現実のしくみを感じるというところから、スタートする必要がありますね。 そのことを何度も何度も繰り返し、そうかなと思うようになり、やっぱりそうなんだと徐々に確信できるようになり、それからやっと、自分を変えていこうと考えられるようになります。 それも、その人にとっては重要な学びですね。 今、目の前でうまくいかないことを、自分がどう変わればうまくいくんだろう。これもまた悩みになります。 自分のここをこう変えなくてはいけないとわかったとしても、それがまた簡単にはうまくはいかないもので、時間をかけてああでもない、こうでもないと試行錯誤しなくてはいけません。 うまくいかないと思って、変わらなくてはと考え、試行錯誤している時は、苦しいですね。その苦しさに集中してしまって、自分が今どういう状態なのか、ほとんどの人は感じる余裕がありません。 でもその状態は、いわゆる「無我」に近くなっているんです。信じられないかもしれませんが、悟りにも近くなっています。物事に一生懸命になっている時は、いつでもそうなります。 他のことが考えられないほど大変なことや、つらいこと、苦しいことに直面している時、一種の悟りに似た中に入っていて、霊的にはハイレベルな状態になっていることがあります。 そして苦しくても歩んでいれば、苦しみの中から、素晴らしい学びや直観や、人生の開拓が、現実に起こってきます。 苦しくてつらい時、真っ暗闇の中にいるのではありません。調子がよくて楽な時よりも純粋になって研ぎ澄まされていて、一瞬で大きな段階を超えるチャンスの中にいるんです。 苦しみの中に素晴らしい自分がいるんだなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
神社との相性の良し悪しというのは、実際にあります。どうして相性の違いがあるのかというと、自分や先祖の前世でのご縁によってということが多いと思います。
その人が源氏の子孫であれば、源氏関係の神社仏閣では、どこでも良い気分で迎えられ、いいことがあり、平家関係の神社仏閣へ行くと、嫌なことが待ち受けているという感じです。 初めて訪れるのに、「久しぶりに来た、この相手は間違いなく知り合いだ」という感じを受けた神社仏閣や神仏が、私はたくさん存在します。 いろいろな神社仏閣に参拝して相性を観察していると、自分が前世でどういう立場だったのかが、わかってきます。 自分が前世でどういう立場だったか知りたくなった人は、どうぞランキングに一票を→→人気ブログランキングに投票されます。 自分が源氏か平家か知りたいのであれば、京都の岩清水八幡宮と厳島神社へ参拝するとわかります。岩清水は源氏、厳島は平家の守護神です。(鶴岡八幡宮では判断はできません)ただし、厳島神社はとても厳しく反応が出ますので、気をつけてください。 自分が天津神(あまつかみ。大和朝廷)か国津神(くにつかみ。大和朝廷に支配された一族)かを知りたいのであれば、伊勢神宮と出雲大社へ参拝するとわかります。伊勢神宮は天津神、出雲大社は国津神です。 南北朝時代に南朝だったのか北朝だったのかを知りたいのであれば、吉野神社や天河神社へ参拝するとわかります。どちらも南朝です。 戦国時代に家康、秀吉、信長、信玄、謙信の誰にご縁が深かったのかを知りたいのであれば・・・この人達は立派なお墓やお城があるので、そこへ行けばわかります。 神社仏閣では、家康は日光東照宮、東京の日枝神社、秀吉は京都や名古屋の豊国神社、琵琶湖のほとりの日枝大社、信長は京都の建勲(けんくん・たけいさお)神社、愛知の津島神社、信玄は武田神社、謙信は上杉神社など。 相性の良くない神社へ参拝して起こってくることは、浄化です。自分の中にネガティブな波動を持っているので、浄化されて出てくるのが、トラブルや嫌なことというわけです。だから、結果的には悪いことではありません。 その内容は、事故、人とのケンカ、様々なトラブル、体調の悪化など、ありとあらゆる出方をします。 相性が良ければ浄化は気持ちがよく、相性が悪ければ浄化がつらいということです。 どちらにしても神社は浄化の力の強い場所ですから、参拝を習慣にされると、ご自身の浄化が進むので、精神的な成長も早くなりますよ。 神社には浄化の力があるんだなと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
祈ららのサイトをごらんいただいたり、日本の神について関心を持ったりして、神社が気になっている方がいらっしゃるかもしれません。
でも、神社にはよくない霊が住んでいるから、あまり行かない方がいいと誰かに言われた人もいるかもしれません。 神社には、神様を祀っているわけですが、そこが神様の家というわけじゃありません。そこに住んでいるのではなくて、呼び出して来ていただくための場所です。 どうぞランキングに一票を→→人気ブログランキング でも、毎日ひっきりなしに誰かが参拝してご祭神を呼び出す神社では、ずっとそこに居るような状態になっているでしょう。 ほとんど人が参拝しない神社では、普段はそこにはいないと思いますが、呼び出せば来てくれます。 ただ、いつもいつもご祭神の呼び出し所として、よく手入れされているところと、そうでないところでは、雰囲気は違います。手入れがゆきとどかず、格好の霊の住処になっているところも確かにあります。 神社に関心が向いてきたからといって、見かけた神社のどこでも参拝したくなってしまっているととんでもない数ですし、いったいどこへ参拝するといいのかがわからないかもしれませんね。 神社は、基本的にその土地の守護をしていると考えると、参拝した方がいいのかどうかがわかりやすいと思います。 ご縁のある土地の神社には参拝するといいですよ。その土地にご縁をいただいていることへのご挨拶をして、土地の守護をしてくれている神社との絆を深めることができます。 まずは、町内を守護している神社。ここが一番大切です。ここの神社が嫌な感じだと思ったら、その土地での生活は、あまり幸福でない可能性が高くなります。 それから、町内を守護している神社の総まとめをしている、総鎮守。市内に1〜数ヶ所あると思います。 それから、その国の一宮(いちのみや)。県に1〜数ヶ所あります。 そして、近辺の人がよく参拝する、有力な神社。 職場の一番近くの神社も、参拝するといいですよ。 普段かかわりのない、遠くの有力神社へは、観光で訪れることがあるかもしれませんが、相性の良い神社を発見することもあり、相性が悪くて体調を壊すこともあり、楽しかったり用心しなくてはいけなかったり、色々です。 例えば、その町の自治会長さんに会った時、金運上昇をお願いする人はいませんね。市長さんに会った時、健康増進をお願いする人もいませんね。 神社もはじめは、「ご縁をいただきましてありがとうございました。」という、ごあいさつにしておくのが、筋ではないかと思います。 何度も参拝していると、場合によっては初回からでも、その神社と自分との絆が非常に強いことがわかってくることがあります。 そういう神社によく参拝すると、つらい時には楽にしてくれたり、元気にしてくれたり、偶然に素晴らしいことにめぐりあったりということが、現実に起こってきますよ。 本格的な祈り方を知りたい方は、祈ららの祈り通信講座へ。 ご縁のある神社に行って、ごあいさつしてみようと思った人、このブログを応援してくださる人は、どうぞ投票を。いつも、応援をありがとうございます! ![]() |
| スピリチュアル・ライフ日記 |
悟りと自己実現の後にやってきたのは・・・遊びと笑いの日々。悟りへ加速する、カルマ浄化の祈り、指導中です。
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