大阪での2日目は、河内の国一宮・枚岡(ひらおか)神社、生駒山頂の龍光寺、生駒山をご神体とする往馬神社と参拝し、その後も生駒山の中のお寺を回るつもりでいたんですが、気が変わって、チェックはしていたものの行かない予定だった、八尾市の大聖勝軍寺に行くことにしました。
大聖勝軍寺は、蘇我・物部の戦いの跡地です。蘇我一族は仏教を取り入れようとしており、物部一族は神道の祭祀を司る一族だったので、対立していました。
戦いの時には、16歳の聖徳太子が軍を率いていました。聖徳太子は、この戦いにあたり、信貴山の毘沙門天に戦勝祈願をしていました。戦いで物部守屋(もののべもりや)に勝利した太子は、この地に大聖勝軍寺を建立しました。
ご本尊は如意輪観音。弁財天の変化(へんげ)です。祈った感じは、まあ普通でした。お寺の門の脇で「市民病院の前に物部守屋の墓がある」という説明を見て、そこへ行こうと思いました。
門の前にたどり着くと、守屋の喜びと自分の喜びとが入り交じって、涙が流れてきました。次々と・・・。守屋!ずっとずっと名前を知ったときから、お墓参りしたかった。
ふと周りを見ると、玉垣に書かれた神社の名前のすごさに気づきました。あちこちの県の神社庁、八坂神社、熊野那智大社、北海道神宮、寒川神社、石上神宮、石清水八幡宮、生田神社、長田神社、住吉大社、赤坂日枝神社・・・、その名前をひとつひとつ目で追いながら、涙が止まりませんでした。うれしい・・・。
特に、石清水八幡宮の名前を見た時はショックに似た喜びで、声を殺すことができませんでした。なんでだろ、鶴岡八幡宮じゃなくて石清水なのに。誰が喜んでるんだろ、自分?石清水八幡宮と物部守屋って、何か関係があるの?
ああ、守屋、良かったね。こんなにいっぱいの大きな神社から、手厚く葬ってもらって。
20~30分泣いていて、涙が少し落ち着いてきてから、買って来たお茶と、自分で食べるつもりで買っていたお菓子を供えて、祈りました。
守屋の気持ちが静かに落ち着いていくのがわかりました。ふたりで、やすらかな感覚にひたり、共感を楽しみました。
供養の時には、ひとつの感情をふたりで共有するんです。自分の感情は相手の感情であり、自分が今感じていることが、そのまま相手の心の内です。霊界の相手は感情を抑えるということをしませんから、供養の時には、よくぽろぽろ泣いてしまいます。相手の気持ちがそのまま、自分にコピーされているんです。
守屋は、当たり前かもしれませんが、自己実現や悟りやアセンションはできていませんでした。それが少し悲しかったです。その方向へ向かうように、祈りました。
後から考えて、今回の大阪の目的地は、生駒山というより、ここだったのだとわかりました。ここへ来るために、この合戦の敵方の守護仏だった、信貴山の毘沙門天に、まず祈ったのだとわかりました。敵方だったのだから、境内でカルマが出て当然でした。
そして次には、物部守屋の守護神であろう、守屋の先祖でもある饒速日尊に祈ったのでした。
私と石清水八幡宮との関係は、今まであまり良くありませんでした。何か堅苦しかったんです。でももしかしたら、関係が変わってきているのかもしれません。鶴岡八幡宮との関係が改善されてきているからなんでしょうか。
八幡宮の主祭神が女神であることを確信するようになって、私はその女神様との関係が深いことがわかってきていることも関係しているのかもしれません。
帰りの新幹線の中でいろいろと考えていると、このように伝わってきました。「多くの武士たちが敵も味方も私に祈り、私の旗を持って戦場へ赴きました。だから、私は武士たちを供養し、導くのです」それが祈ららの祈りです。
日本の戦いにご縁の深い人は、祈ららの祈りで安らげると思います。戦い傷つけた相手や、自分のために戦った家臣たちをひとりでも多く、このたびの次元上昇に間に合わせてあげてほしいと思います。地球とともに次元上昇しようとしているのは、この世だけでなく、霊界も一緒に行こうとしているんですから。その作業をしていると、自然に自分のカルマも消えていきます。
戦いにご縁が深いかどうかわからない?それは、この記事が気になる人だと思います。祈ららの祈りについては、こちら。
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